著者紹介・はじめに
2024年6月15日初版の、新潮社から発刊された本で、著者はノンフィクション作家の下山進氏です。題名はがん征服ですが、頭頚部がんについて一部出てくるものの、難治性腫瘍の脳腫瘍・膠芽腫に対する新しい治療法についての開発や臨床試験などの経緯と、それに対する問題点や今後について詳細に書かれた本となっています。
がん征服
内容
脳腫瘍の膠芽腫は2年以内に半数が亡くなる疾患です。2006年に承認されたテモゾロミド(商品名テモダール)という抗がん剤もありますが、正常組織とがん細胞の境目がわかりにくく、どんなに上手に手術をしても治せないと表現する脳外科医もいます。膠芽腫は転移をしませんが急激に進行します。MRIの画像ではリングエンハンスメントという腫瘍の光る環と内部の壊死した暗い部分が描出されます。壊死は腫瘍に血液がいかず、極めて酸素が少ない状況に置かれるからで、腫瘍細胞の幹細胞化が引き起こされ、幹細胞は治療抵抗性が高いのです。脳は免疫の機能が極めて弱く、膠芽腫はさまざまな種のがん細胞が混在しますので、単一の分子標的薬でがんをたたいても1種類のがんにしか効かず他は生き残ることを意味します。免疫チェックポイント阻害剤も脳内にはT細胞が少ないため効きません。
膠芽腫はIDH1の遺伝子の変異を持っていると予後がいいと2009年にニューイングランジャーナルオブメディスンから報告されていました。この変異をする患者の割合は5%程度ということもわかっています。
言語をできる場所を残しながら腫瘍を切除するには覚醒か手術が必要なることもあります。覚醒下手術とは、一旦麻酔で患者を眠らせその間に開頭手術をし、脳をむき出しにした状態で覚醒させます。そのうえで腫瘍周辺の部分を電気刺激しながらカードを患者に読み取らせて発語させたり腕を動かせて切除してよい場所をぎりぎりの部分まで見極めます。
ホウ素剤を点滴したうえで開頭し、むき出しになった患部に原子炉から取り出した中性子をあてる、ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)があります。原子に中性子をあてると核分裂が起こる原子があり、その時質量差がわずかに失われ、この質量差で膨大な熱エネルギーとして放射され原子爆弾の原理となりますが、ボロン(ホウ素)に中性子をあてるとリチウム原子核とヘリウム原子核に分裂しますが、中性子は出ずこの時の分裂で出るエネルギーは細胞1個を殺す程度の微弱なエネルギーとなります。がん細胞だけにホウ素を付着させる方法があれば、中性子を照射して健康細胞を傷つけることなくがん細胞を殺すことができます。1950年代から米国で臨床試験が行われましたが、中性子が2.5cmまでしか届かずホウ素をがんに集積させる方法がわからなかったため成果が挙げられませんでした。1990年代に原子炉から取り出す中性子をエネルギーの多い熱外中性子に変更可能となって、6cmまで届くようになりました。がん細胞に付着させる方法も、メラニンの前駆体のチロシンに似たドーパという物質にホウ素をつけたBPAというホウ素が日本で開発されました。
BNCTをした後に白い影が画像上出現することがあり、再発として取り出してみると腫瘍ではなく放射線浮腫というむくみだったことがわかりました。放射線浮腫も厄介な副作用で、放置すると死につながります。放射線浮腫に対してVEGF抗体のベバシズマブ(商品名アバスチン)が奏功するという報告があり、実際に投与して抑え込めることが多くなってきました。
中性子は体を通り抜けるから副作用の心配はさほどないという脳外科医もいますが、バイオロジカルエフェクトはX線が1としたら中性子線は5か6で、X線の致死量は6Gyです。中性子線そのものは強くないものの、ウランやホウ素を核分裂させて放射線を出させる二次的な力があり、人体にはナトリウムやカリウムがあるのでそれが中性子線によって放射化する影響は大きいとも考えられます。
これまでBNCTは臨床試験で研究として行われていたため、治療成績などの条件は課せられていませんでした。福島の原発事故によって原子炉を中性子源に求めるのが難しくなり、医療用加速器を開発し、加速器を使って中性子を取り出して治療をする方法に変わりました。加速器とは電磁石のプラスマイナスを切り替えてプラス電荷をもつ陽子を加速していき、陽子をベリリウムにぶつけて中性子を発生させて中性子源にします。
ウイルスでがんを治そうという試みは100年の歴史があり、はしかやおたふく風邪のウイルスに感染してがんが消えた例もありましたが、多くはウイルスそれ自体の力で患者はひどいことになっていました。失敗の原因は野生のウイルスを使ったことにあり、遺伝子の編集技術を使いウイルスを改変させて副作用の少ない治療法が開発できるのではないかと考えられました。RNAウイルスは遺伝子改変しても不安定さゆえに野生種に戻ってしまうためDNAウイルスが考えられ、ワクシニアウイルスとヘルペスウイルスがあげられました。ワクシニアウイルスは種痘として用いられ、ほとんどの人が免疫を持っていて感染が難しく、ヘルペスウイルスは免疫を持ってない人が多く局所感染という特徴があり、実際に遺伝子を一か所だけ改変したヘルペスウイルスを膠芽腫を塗り付けたマウスに感染させた実験では、神経変性もなく健康な状態を維持したマウスも見られました。1か所のみの改変では安全性が低く人間には使用できず、2か所の遺伝子を削除して健康な細胞では増えることはできないもののがん細胞という特殊な環境では増え続けることができるようなG207が開発されました。しかしウイルスの増殖ががん細胞の増殖のスピードに勝てないという問題がありました。ヘルペスウイルス自体がワクチンのようにがん細胞への免疫反応を惹起することも動物実験でわかりました。G207に3か所目の遺伝子を削除したG47Δも作成され、免疫反応はおこり多くのがんの抗原やウイルスのタンパクを免疫細胞が見つけやすくなるというたてつけで、マウスの実験で膠芽腫の細胞の増殖を抑えることを報告しました。
IR700という蛍光物質を使ってがんを光らせることができないかというプロジェクトで、IR700を抗体に加えて特別な抗原を発しているがんに届け、近赤外光をあてれば光らないかという実験をしたところ、顕微鏡で除くとがん細胞がプチっと破裂するようにして次々と壊れていきました。ふつうがん細胞が死ぬのはよくて何時間かたってからで、翌日の観察でわかるというものでしたが、顕微鏡でみているとみている先から形状が変わって死んでいくのがわかり、治療に使えるのではないかと考えました。マウスでこの方法を実証したものが2011年6月にネイチャーメディスンに発表され新しい治療法が開発されたと印象付けられました。がん細胞が壊れる機序は最初不明でしたが、IR700が光によって変形し、抗体の形もかわって細胞膜が破れてがん細胞が破裂することがわかりました。IR700は細胞にくっつかなければほとんど無害で半減期は1.5日です。1か所の腫瘍をこれで破壊すれば飛び散った抗原を免疫細胞であるT細胞が認識して、転移した遠隔地のがんも叩けるのではないかと考えて動物実験を開始し、十先に効果が得られ光免疫療法が誕生しました。治験を開始するにあたり楽天メディカルが投資をすることになりました。
これまでの薬事法では安全性とともにその効果が確認できなければ承認となりませんでしたが、ランダム化比較試験にとらわれない治験のデザインではどうやっても効果は確認できず、再生医療学会の要望もあり、再生医療製品には効果または性能を有すると推定されるものであることを条件及び期限付き承認の条件とし、2012年10月に山中伸弥先生がノーベル賞を受賞して追い風を受けて、法律には再生医療製品等の言葉で2014年に制度がつくられました。
重篤で治療法が乏しく、患者数が少なく検証的臨床試験が困難な症例で安全性が確認されたものに対して、2017年10月から条件付き早期承認という制度が運用されましたが、有効性の確認は必要となりました。
膠芽腫と頭頚部がんに対するホウ素剤(商品名ステボロニン)と未承認機械(医療用加速器)の保険診療適用のための治験が始まりました。局所進行再発頭頚部がんのフェーズ2試験で、奏効率良好でQOLも維持されるため、2020年3月に薬事承認され6月には保険収載されました。膠芽腫に対してもシングルアームでフェーズ2を実施しましたが、アバスチンも使用したためその効果の影響も考えられ、国立がんセンターの治療成績を比較したところ大きな差は認められず承認は得られませんでした。
G47Δ(商品名デリタクト)の治験のフェーズ1は科研費でやりましたが、フェーズ2の実施に名乗り出る製薬会社はなく、国が負担する医師主導治験でフェーズ2を実施しました。第一三共製薬が承認申請をし、再生医療等製品のための承認の制度で、2021年5月24日に全例報告を義務付けて7年後に再審査するという条件付きでG47Δは承認されました。承認にあたる治験では19人がされ、そのうち6人(31.6%)がIDH1の変異を有していました。2023年5月現在でデリアクトは東大の医科研のみのシングルセンターの使用で、症例を選んでいる可能性があり、今後製造設備の増強なども予定されていますが、2028年の再審査をシングルセンターの症例だけで受けるつもりなのでしょうか。
IR700をつけたEGFR抗体(商品名アキャルックス)を2時間かけて点滴投与して24時間後に照射する方法で条件付き早期承認を目指し、局所進行再発頭頚部がんのフェーズ2試験で、奏効率良好のため2020年9月8日に承認されました。この治療で病状進行が30例の内5例認められました。EGFR抗原を発しない症例が15%程度あることがわかっており、そういった症例も存在します。国際共同治験のフェーズ3も始めています。
感想
難治性の膠芽腫に挑む3種類の治療法を、開発の経緯や臨床試験の経過なども臨場感たっぷりに書かれています。新たな治療法が開発されると希望は広がりますが、がんを征服するのはなかなか難しく、それでもいい治療法なら積極的に実臨床に導入されればいいと思います。臨床試験や早期承認などの利点・欠点も書かれており、読み応えもありました。